Edelsteinkiste
13.初陣
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作戦会議を終えて部屋へ戻った。
戦についての勉強は、家庭教師にさわりを一通り教わった以外手を付けたことはなく
当然こんな大掛かりな戦の知識など、陣形を幾つか知っている程度に留まる。
この数日、ジャニスに言われるまま指南書を読み解いて得たものが殆どだ。
知識を得るという行為自体は嫌いではない。
館にいる間は日がな一日読書をしていても苦にはならなかったし
伝記でも小説でも歴史書でも、それぞれの行間に思いを馳せるのは楽しかった。
人を殺す為の術だと思うとどうにも気が進まず、自らは手に取らなかった戦術の指南書が眼前に積み上げられ
嫌々ながら手を伸ばして読み進めたが、やはり先入観も手伝ってか何の魅力も感じなかった。
指南書に書かれているのは少々駒の動きに融通の利くチェスと大差ないように思えた。
よく考えれば、あれも戦争を元にしたボードゲームだ。東洋にも似たようなものがあると何かに書いていたな……
などと考え始め、集中が途切れる度に
ジャニスは目敏くそれを見つけて叱咤するので閉口した。
彼女は常に"戦って勝つ"事を念頭に物を考えている。
数日間、眠る以外の時間の殆どを彼女と過ごして思った。
軍人としてはやはり、それが正しいのだろうか。
驚いたことに彼女の軍の階級を聞けば、大佐の地位を得ていると言う。
俺とそう歳は変わらないはずなのに、やはり少年兵の頃からの実績なのだろうか。
質問を重ねようとする前に、手が止まっていると窘められたので詳しいことは解らない。
そんな高位の士官が俺の護衛などという任務に就くことは少々不自然ではないかとも思ったが
軍や…国王の考える事など最早俺には解らない。
そんな、付け焼刃で見繕った陣形と戦略だったが、異を唱える者はいなかった。
慌しい中とはいえ、そのジャニスにも手解きを受けながらの立案だ。
彼女が了承したのだから心配はないのだろうと思った。
守りに重点を置いて、出来るだけ不測の事態にも耐えうる形を取ったつもりだった。
幾人かの冷たく刺さるような視線には、気付かなかったわけではないけれど
敢えて何も言わなかったのであれば、愚策とまでは言えなかったのだろう。
小さな個室は片付いているものの、古びた机や寝台の木材から埃の匂いが抜けていないように思えた。
格子の嵌った窓を見る。
まるで独房だな。そうひとりごちて溜息を吐いた。
あの日から眠りが浅い。
余計なことまで考える時間が増える
----敵を倒すことを、貴方は迷ってはならない----
彼女の声がただ頭の中で繰り返す
…それでも戦いたくなどない。敵といえど人だ。
住む国が違えど、誰かを亡くして心を痛めるのは同じじゃないか。
戦などしなければ人は死なない。
例えどんなに困難であろうと、手を取り合う努力を惜しまなければきっといつか。
----話しても解らない人間というのは現実にいるものですよ----
……それとも、本当に
平和な世界を望まない人間などいるのだろうか。
春に芽吹いた草花を踏み荒らし
青い空を焼き尽くすことを自ら望む人間などいるのだろうか。
……そんな事、あるはずがない。
「主。開戦です、上へ」
「……」
思考を遮るノックの音に混じって、ジャニスの声がした。
返事はせず、重い腰を上げ肩のプレートごとマントを羽織った。
ガチャリ
慣れない鎧が音を立てる。
見た目より余程、重量があった。
これを着て大剣を振り回す兵士というのはやはり鍛え方が違うのだろうと思う。
目の端に移った剣を腰に差してから、これも何も言わずドアを開ける。
ドアを開けると、この数日で見知った顔が
これまた見知った無表情で陶然と立っていた。
「見張り台から敵を確認しました。上へ戻る頃には敵も目視できる頃でしょう。
自軍の配置は完了しています。」
「……」
ジャニスは俺の姿を確認するや否や踵を返し、カツカツと金属板に覆われた踵を鳴らして先を歩く。
何も言わずドアを開けた俺に干渉する気はないらしい。
俺も最早、反論する気力もない。
報告をしながら前を歩く女性の装備は随分簡単な物に見えた。
甲冑で覆うのは胸、腰、肘から先と膝から下、肩当ても左側しか付けていない。
中に鎖帷子は着込んでいるはずだが、腕や足を護るのは黒い布切れ一枚のように見える…
俺に就くということは直接前線に出ないということだからこれでいいのだろうか。
藍色のマントに赤い塗装をしたプレートメイルのコントラストが何やら毒々しく感じる。
「……主。聞いていますか」
「え?…あ、いや、聞いてた」
「……。」
唐突にそう言われ、反射的に取り繕ってみたが流石に自分でも白々しいと思った。
ジャニスは焦茶色の眉根を寄せ、中指で眼鏡を押し上げながら溜息を吐く。
「急いで下さい。背筋を伸ばして」
「……」
特に言及することもなくジャニスは俺の隣に立つと、軽く背中に触れて促した。
目線の少し下にある焦茶色の髪。
また、あの甘い匂いがした。
眼下に広がる荒野に遠く、鈍色のおもちゃのような兵士の姿が見えた。
整然と並ぶその足並みは一糸乱れず、統率された動きは尚更作り物めいている。
冷たい風が頬を打ちつける音に混じって
到底聞こえるはずのない、痩せた固い土を踏みしめる軍靴の音が聞こえてくるような気がした。
明るい碧の旗を携えた敵国の兵士が見える。
相対する双方の戦力を遠巻きに眺めると、なるほど
この砦の見張り台の上から望めば確かに自軍の兵士の方が随分多く見えた。
突き抜ける青空はどこか色褪せて、太陽に夏の勢いはない。
土地柄こういう晴れた日の方が、雲のかかる日よりも気温が低いという事はよくあった。
一つ目を伏せ、大きく息を吐く。
握り締めた鉄柵がじわりと冷たく滑った。
凛と通る、声が鳴く
「開戦です。」
そう言い放ったジャニスの横顔を盗み見ると、彼女は陶然と俺の横に立ちただ一点を見詰めている。
鳶色の瞳は何の色も含まない、最早見慣れた無表情も。
俺が見ていることを気付いているのかいないのか、瞬きの際ですら揺るがない。
何か言おうかと口を開きかけ、特に言うべき言葉は見付からずにそのまま閉じる。
吹き荒れる風の音に混じって
ほんの微かに、怒号のような声と雑踏が入り込む
……ここで食い止めなかったら。
例え200といえども、武装した兵士が戦う術を持たぬ人々を切り伏せるのは容易い。
城壁の中に住む民は剣の扱いなど知らない
日々の糧を得るために働き、家族や友人と穏やかに暮らす人々だ
彼らの幸せを踏みにじられる様なことがあってはならない
……そう、あってはならない。
彼らを護る為に戦うのだと、無理やり自分に言い聞かせる
…諦めにも似た気持ちで、視線を滑らせた。
彼女の見詰める先……戦場に。