Edelsteinkiste
14.初陣
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それは正真、自分が初めて目の当たりにする国境の防衛線だった。
自分の描いた図面どおりに、小さな塊が敵軍を目指して進む様が見える。
塊同士がぶつかると、少し形が崩れた。
それが意味する所は理解していたはずだが、それは
柔らかい粘土に力を加えたときの歪みや
表面張力を保ったグラスの淵に触れた瞬間に似ていた。
荒野に描かれた幾何学的な模様は
触れ合った所から徐々にその形をなくしていく
点も線もどろどろと
溶けて行く混沌のイメージが浮かぶ
遠くで自軍の兵士達がまとうマントの藍色がかろうじて識別出来た。
相変わらず風のは微かにざわつくノイズを運んでくるが、距離が遠いせいなのだろうか。
あの黒い塊の中で、鋼を打ち合いしのぎを削りながら誰かが血を流しているという事実は
どこか冷えたまま現実味が湧かない。
それは連日の睡眠不足で脳が働いていないだけなのか
それとも自分自身が深く考えることを無意識に拒否しているのか
……解らない。
この目で臨めど、耳で聴けど
何も解らない、それなのに足は竦む。
唇を緩く噛み締めると、背筋を嫌な汗が流れた。
鉄柵を再度握り締めると、鎧がガチャリと無機質な音を立てる
吐いた溜息が白く熱を帯びて濁るのに
悴んだ指先は色もなく震えていた。
「…押してるな。中央も崩れ始めてきてる、左から囲めば程なく殲滅できるだろ」
「そうですね」
俺を現実に引き戻した声は、自分に向けた台詞ではなかった。
それは知らぬ間に少し後ろに控えていた見張の兵士に対してかけた言葉だったらしい。
反射的にジャニスの方を見ると、彼女は俺が最後に眼を逸らした瞬間と変わらず未だ戦場に視線を向けたまま。
先ほどから微動だにしない女性の整った顔立ちは、感情の色を一片も留めない
…これではまるで、本当に作り物だ。
「……あ」
「どうした?」
遠眼鏡を除いていた見張の兵士が不意にそう言った。
そこへ来てようやくジャニスは兵士を振り返り、そちらへ少し歩いた。
ただそれだけの事だったのに、人形めいたものが自然な人の動きをしたことが
逆に不自然なように思えたのがいっそ不思議だった。
「女です。あの丘の上に…。偵察でしょう、諜報の人間ですかね」
「どれ。…諜報の割には顔も隠さず堂々としたものだ…指揮官かもな」
ジャニスは見張りの兵から遠眼鏡を奪い取り自分で覗いた。
俺もその方向に視線を送ってみると
確かに兵士達が展開する場所から少し左に外れた丘に、小さな人影らしきものが見える。
流石に肉眼では男か女かまでは判別できなかったが、連れ立っているようには見えない。
人間の注意力というのは頭上に対しては鈍いといわれる、目下で戦う兵士達はその姿に気付く由はないだろう。
多少離れているとはいえ、直線距離ではここからよりも余程戦場に近い場所に
たった一人で身を置いているというのは自殺行為のように思える。
あんな見晴らしのいい場所にいては、弓隊に見付かったらひとたまりもないのではないか。
「指揮官にしちゃ若いと思いますけど…」
「私とて初めて戦の指揮を取ったのは17の頃だよ、年齢は指標には成り得ない。」
「そ、そうですね…」
「少し遠いが……!」
情報において取り残されている俺は会話に入り込む隙がなく
二人のやり取りを聞きながらその小さな人影を見ていたのだが
ジャニスが何か言葉に詰まったのと、その人が突如踵を返して丘を降り始めたのは同時だった。
どうかしたのかとジャニスに声を掛けようと身体を捻った瞬間
戦場から唐突に、マグネシウムを燃やしたような光が瞬く。
「な…なんだ?まさか爆薬か!?」
「いえ、あれはただの閃光弾です。先ほど丘の上にいた女が投下したのを見ました。」
「閃光弾?何でそんなもの…」
遠眼鏡を見張りの兵士に戻しながらジャニスが答えた。
閃光弾や煙玉の類というのは目くらましに使うもののはずだ
混戦している中に投げ込むなら一瞬の虚を突くことも出来るだろうが、あの丘から戦場までは少々距離がある。
そこでふと自分の失言に気付く。
敵にあの人影の位置から直接投下して部隊を殲滅する程の威力のある爆弾を作る技術があるとも思えないし
例えそんな強力な爆弾を作ることが出来たとしても、自軍の兵士まで確実に消炭だ。
「判りません。混乱を誘う為でしょうか?だがあの距離では……!」
ほんの少し眉根を寄せ、もう一度戦場を見やるジャニスの瞳が見開いた。
「ジャニス様、騎兵隊です!!真っ直ぐ砦に向かっています!!
数…25……いや、30!」
その声を聞いて前を見れば確かに、土埃を上げて前進する一団が見えた。
遠目には緩やかな前進に見えても、右側に展開している大隊の動きに比べれば明らかに足が速い。
背筋を電流が走るような感覚だった
「馬鹿な!伏兵など見落とすはずが…っ」
「……いや。おそらく囲まれる直前に右後方の部隊を組み直したのでしょう。
あの閃光弾はその合図だったようですね」
静かな声音に、眩暈がした。
この奇襲が最初から計画されていたという事か?
そもそも我が軍を左に回りこませる所から仕組まれていたとしたら
ジャニスは呟くように言ってすぐ、手摺から身を乗り出し声を張り上げた。
「ユリアーノ!前方の部隊へ伝令、二番隊・十番隊の騎兵を戻せ!お前が連れて戻って来い、砦の部隊と挟んで叩く!!
他の部隊はそのまま敵を殲滅!大多数を囲んでいる以上いまだこちらが有利だ、惑わされる必要はない!行け!!」
「御意!」
砦の真下に控えていた騎兵の一人が、そう答えて走り出す。
それを見届けるが速いか、ジャニスは脇に置いた伝声管の受話器を取った。
「砦の部隊に通達、騎馬隊が砦に向かっている、数30。応戦する!
斧を出しておけ。私が降りて指示を出す」
訳もわからずその一瞬の出来事を見守るしかなかったが
ジャニスはそう言って受話器を戻し、カツカツと俺に歩み寄った。
真っ直ぐ向かう揺ぎ無い視線に、ぎりと身体が強張る。
「最初からこれを狙っていたようですね、部隊の中でも選り抜きの駿馬でしょう。
抜かれたものは仕方がない、私は砦の部隊に加勢します。」
「……っ」
"最初からこれを----"
……彼女は確かにそう言った。
「砦に残した兵士は少ないが心配には及びませんよ。こちらへ…」
早口で言い終えると、ジャニスが立ち竦んだ自分の肩を押した。
……とてもではないが、理解できない。
身体は酷く冷たいのに、口の中が…喉が熱い
「前方の…兵士達は」
「はい?」
必死に選んで吐き出した言葉は震えて細く揺らいだ。
「あの200近い兵が…!全て囮だというのか!?」
怒りなのか恐怖なのか焦燥なのか自分でも判断出来ない感情が高ぶるまま声を荒げた
それを彼女に向ける事はお門違いだというのは解っていても止める術はなかった。
睨む様に向けた視線を、ジャニスは難なくその冷たい鳶色の瞳で捌く。
作り物めいた整った眉根が、わずかに寄った。
「失礼」
パシン
「兵の在り方は説いたはずです。…謹んで下さい」
軽い音と共に視界が揺らいだ。
一瞬、頬がじわりと痛む。
「一応お答えしておきますが、前方の部隊は囮でまず間違いないでしょう。
どちらにせようちでは捕虜を取らないので殲滅することになりますが」
「……」
「貴方はここでご自分の身の安全を確保してください。
ラウル!主を頼む、敵に何か妙な動きがあればすぐに知らせろ。」
「ジャニス様……」
強かに打たれたわけではない。
痛みが残るようなことはなかったのに
指の触れた頬が熱かった。
反射的に覆った掌の冷たさが滲みた。
ジャニスは若い兵士と二言三言交わすと、そのまま早足で階段を下りていく。
たなびいた藍色のマントを目の端で捕らえた。