Edelsteinkiste
8.王宮にて7th

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「敵軍はおよそ200。自軍は300です。
 引き付けて迎え撃つ形になりますから条件は充分こちらに有利です、気負う必要はありません。」
「…そうだな…。」
「…浮かぬ顔ですね。」
「……」

 相変わらず淡々とした口調に、広げられた地図や陣形の説明図
 思い知らされる気がした
 自分はこれから、あんなにも拒んできた戦場へ向かうのだと。
 剣を学んだのは、決して

 誰かを殺したかったからではない。
 誰かを護れると信じたからなのに。

「……ジャニス」
「何です?」
「…本当に、和解は不可能なのか?」
「……主。」

 うんざりだというように眉を顰め、彼女は目を伏せて髪を一つ払った。
 "今更"。飲み込んだ声が溜息に混じって纏わり付くようだったが
 例え甘くとも、犠牲の上に本当の平和など訪れるのかと
 どうしてもその疑念が拭えない。

「この国は三年前のダイアとの戦で辛くも勝利を収め、そして疲弊しました。
 その傷は癒えきってはいないことは主もご存知ですね」
「…だからこそだ…!なぜ同じ過ちを繰り返す」

 戦慄いた右の拳が、下に引いていた資料にくしゃりと皺を寄せる。
 俯いて、目を閉じて唇を噛んだ。
 焼け爛れた城下の炎は今でも、自分の胸まで焼いてしまった様に鮮明に焦げ付いている。

 城から臨んだその光景の中、小さな黒い物が不規則に移動したのが見えた。
 上昇気流に乗って浮かぶ灰や、重力に逆らえず倒れる瓦礫のどちらの動きとも異なる。
 不思議に思って目を凝らそうとして、気付いた

 あれは人間。
 炎に巻かれ逃げ惑う人々。
 紅蓮の悪魔の体内に取り込まれ
 その熱に身を捩りながら必死に出口を探そうと足掻いている姿なのだと。

 気付いた瞬間、もうその様子を見ては居られなかった。
 既に城下からの熱風が城にまで届いていたが、小刻みに身体が震えた。
 口の中が乾いてひどく寒かったのに、じわりと滲んだ汗が張り付く。

 許されない。
 こんなことが許されていいはずはない。

 …酷く気分が悪かった。
 その後の事はぼんやりとしか覚えていないが、確かヨシュアに部屋まで送ってもらったのだったと思う。

「…理想論ですね。」
「…犠牲の上に真の平和など訪れない。
 自分を護るために人を殺す、では理由にならない。新たな争いを生むだけだ」
「……。」

 含みのある言い方をする彼女に、少し強く言い放った。
 彼女個人を責めるつもりではなかったが、理想であって何が悪いのかと。
 視線を鋭く射抜いたつもりだったが、彼女は動じず続けた。

「戦を避ける努力は既にしました。お父上は随分と良い条件を差し出したのですがね。
 話しても解らない人間というのは現実に居るものですよ。」
「……だが」

 あっさりとそう言い放たれる。
 …何度も父や兄が、エメラルドに赴き直接交渉をしていたことは知っていた。
 交渉が決裂したから戦争をする。確かにそれはとてもシンプルな理屈だ
 だがあまりにも単純すぎる。
 その場しのぎの愚策だとしか、俺には思えない。

「この戦闘を止めることは既に不可能です。
 貴方に課せられた使命は何か、解っていらっしゃいますか」
「…戦って、人を斬って勝つことが平和への道だと俺には思えない」
「違います。勘違いされては困る」

 再度唇を噛んだ自分の言葉が、間髪入れずに否定された事に驚いて顔を上げる。
 勘違いとはどういう意味だろう?
 言葉にはならなかったが、その意味は正しく彼女に伝わった。
 一切の表情を取り払った人形のような顔が、こちらを向いて口を動かした。

「貴方が第一に考えなくてはならないのはご自分の身の安全です。
 戦況が悪化して例え兵が全滅したとしても、貴方は生きなくてはならない。」
「何、を…」

 ふ、と
 毛が太るような感覚。
 薔薇色の唇が紡ぐ言葉はいつもアンバランスに響く。
 その温度差は何時だって居心地が悪い。
 彼女が何を言っているのか、理解するのを思考が拒んでいるようだった

「貴方は王家の血を引く第二太子なのですよ?
 我ら兵士は代りが利きます、ですが貴方の変わりは誰も居ない」
「代りが居ないのは俺だけじゃない、人は誰も誰かの代りになどなれない!」
「兵士は人ではない。祖国の…貴方の手駒です。」
「っ…!!」

 ……常軌を逸している。
 そう思った。
 思わず言葉に詰まってしまうほど。

「貴方には残酷かもしれませんがそれが戦の現実です。
 そしてその為に集ったのが私を含めた兵士です。
 戦士に墓標は要りません。敵であっても味方であってもその在り方は同じ
 情けを掛けるのは彼らへの侮辱に等しいと理解してください」
「本気で…言っているのか…?」

 ようやく口に出来たのは、そんな一言だった。
 呟くように口から漏れた瞬間、ふつふつと怒りが込み上げる。
 人の尊厳も何もない。
 彼女には死を悼む気持ちはないのか、命の重さが解らないのか。

「貴方こそ本気ですか?」
「俺は誰かを犠牲にしてまで助かりたいなんて思わない!」
「……」

 尚も言葉を続けようとした彼女を遮って
 机を打ちつけた右手が、じわりと熱を帯びた。
 端に寄せていた紙の束が一つ、ひらひらと零れて床に舞い落ちる。
 それすら彼女は意識の埒外にあるというように、顎に手を当てて少し考える素振りをした。
 一瞬の間をおいた後、彼女は腰を折って散らばった紙を拾い集めた。
 集めた資料を机の端で整えながら、何気なく呟く。

「…ハリスの市街戦は貴方も見ていたはずですね。」

 

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