Edelsteinkiste
9.王宮にて8th
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血液が沸騰する
肌が焦げる
"あれ"に意思などない。
冷静に考えれば馬鹿げているが
"逃げ惑え"
あざ笑うように、"あれ"はそう言っているように見えたんだ。
「……、」
「少し説明しましょう。」
ジャニスはそう言うと、机に歩み寄り
つい、と脇にあった羽ペンを手に取る。
ペン先をインクに押し込む傍らで、無造作に置かれた資料を端に寄せ
手近にあった何も書かれていないクリーム色の羊皮紙を広げた。
「…我が国の地形を図に表すと大体こうです。
背面は標高の高い山が続きます。」
淀みなくさらさらと動く羽ペンを見詰める。
口頭で説明する際にペン先を軽く打ち付けるので、その度に小さな黒い染みが広がった。
"大体"というだけあって全く絵心を感じない線の羅列だったが、一応山脈や湖、遺跡などの場所に言葉と文字による注釈を付けて説明されると徐々にそれらしく見えてきた。
最後に国境の防壁を書き入れた後、ジャニスは羽ペンを翻して今度は羽の先で線の上をなぞる。
「我が国は地形に恵まれています。国を囲む山は険しく山越えはまず不可能。
我々はこちらの防壁にだけ気を配れば良い。」
羽が、くるりと描かれた防壁の上で円を描いた。
…確かに、国境を囲んで舞台を配置しなくて良い分、戦力の分散は避けられる。
地の利もこちらにあるのだから、攻めるに置いてはここは唯一にして最大の難所だ。
歯切れの良い口調で説明しながら羽の先が羊皮紙の上を踊る。
乾き切らなかったインクが触れて、小さな尾を引いた。
「あの時ダイアが破ったのはここです。彼らは真っ直ぐこの城へ、ハリスを目指して進軍しました。
この防壁を抑えてしまえば敵は逃げられない、ラピスラズリは陥落したも同然ですからね。
状況は絶望的だったということは理解していただけましたか?」
「……。」
カラン。
小気味良い音を立てて、羽ペンがジャニスの指先を離れペン立てに収まった。
机を挟んで背筋を伸ばした彼女を見上げた。
無言も肯定と受け取ったのか、彼女はそのまま続ける。
「さて。これを踏まえて貴方に問います。
なぜ我々は国内に食い込んだダイアの兵を撃退できたのでしょうか?」
「……、え?」
思わず間抜けな声が漏れ、ジャニスと目の前の図を見比べた。
…こうして図にしてみると解りやすいが、確かに彼女の言う通りだ。
この防壁さえ突破してしまえば、国を囲む岩山は一変、我々を捕らえる檻になる。
ダイアが切った防壁は、図では右端の第六ゲート。
城下町というのは入り組んだ造りになっているものだが、このゲートからハリスへ向かえば、王宮までのルートは比較的解り易い。
国内の地理を少しでも知っていれば、ここを狙うのも当然なのかもしれない。
あの時国内に残っていた自軍の兵はごく僅か、残りは剣の振り方など知らない一般市民。
相手は武装し訓練された兵士だ。……か弱い命を奪うことに躊躇いがないなら、行く手を阻む人の数など問題ではない。
王宮には騎士隊が控えていたはずだが、ダイアはその防衛線に到達する前に兵を引いた。
言われてみれば確かに不自然だ。
街に火をかけて戦力を削ぎ落とそうと、或いは王宮に住まう我々を燻り出そうとしたのだろうが……
そこまで考えて、ふと気付く。
そうだ、矛盾している。
比較的城への道順が解りやすい第六ゲート。
もう道を阻むものはほぼ居ない。
ダイアだって、長きに渡る戦で消耗していたはずだ。
今更戦力を削るより、さっさと終わらせてしまいたいと思う方が自然ではないのか。
騎士隊は戦争には参加しないから、実力を測りかねたのかとも思うが
結局あの火責めに時間を割いたおかげで、彼らは後ろから追いついたラピスラズリの部隊によって撤退を余儀なくされている。
明かりが灯るような、そんな。
思い当たってしまった可能性に、口元が引きつる。
……馬鹿げてる。
そんなはずない。
「………まさ、か」
「やはり聞かされていませんでしたか。」
けろりとした顔でそう言った彼女の一言が
否定しようとした思考を裏打ちした。
そもそもゲートを突破させた所から仕組まれていたに違いない。
城下町まで真っ直ぐ向かう事の出来る第六ゲートは、通常他のどのゲート以上に厳しい警戒を敷くべき場所だ。
それをあっさり通過させ、進路を炎で塞ぎ
今度は退路を余力を残して控えていた兵士で塞ぐ。
軍と騎士隊がそれぞれの役割をこなせば充分可能な作戦だ。
……馬鹿げてる…
「自分の国に…己の住む街に自分から火を掛けたと言うのか!?
敵を足止めするために!!」
「ええ、その通りです。やはり貴方は聡明ですね、これだけの情報で正解にたどり着けるとは」
「ふざけるな!」
荒げた声に身体が軋む
……心が軋む。
「そうしなければ貴方は死んでいましたよ。
貴方だけではない、もっと多くの罪もない民が」
「……ッ!!」
……どうして。
事も無げにそんな事が言えるんだ。
「作戦の前に住民に避難令は出してありましたから、見た目程一般市民に死傷者は出ていません。
本部長…失礼。元帥の発案で、最終的に決定を下したのは国王です。
結果、敵の先入観を利用して見事に不利を跳ね返した。」
「……やめろ…っ…」
国を焼いて、人を焼いて。賞賛などされるべきではない。
……あの惨劇が
父が自ら手を下して招いた結末だという衝撃で頭が働かない。
吐き気の様な感覚を覚えたが喉まで上らず、腹の中がもやもやとうねった。
「嫌悪しますか。…それは罪だと?」
「……当たり前だ」
「では、あの時殺されていれば良かったと思いますか?
抗わずただ略奪の限りを尽くされる我が国を黙って見ていればよかった?」
「……っ」
唇を噛んだ。
握り締めた掌は、知らぬ間に湿って
"殺されていれば良かったと思いますか?"
「……そういうことじゃ、ない…」
……ただの屁理屈じゃないか。
そう一蹴してしまえる気力は既になかった。
それを裏付ける為の理論を組み立てる余裕も。
彼女の言葉は表面を見れば正論に聞こえる
だがそれは人を数でしか見ていない冷徹な判断だ。
それは正しいと、言えるのか。
「……出発は明日です。
気負い過ぎず早めに休んで下さい。」
「………」
何も答えられなかった。
ジャニスはそういうとさっさと踵を返し部屋を出て行く。
…どうしてそんな風にしか考えられないんだろう。
例え彼女の言う事が合理的だとしても、俺には納得出来ない。
……あんな風に割り切ってしまうことが出来れば
こんなに辛いとは思わないのだろうか。