蜻蛉恋歌
空を恋う花

「紫陽花、綺麗。あ、蛙、蛙」
「嗚呼…良かったな。
…そうだ、紫陽花の色、何で決まるか知ってるか?」
事務所へ続く細い遊歩道の端に
青の紫陽花が咲いて居た。
数はさほど多くなかったが、雨上がりの露を帯びた花弁は瑞々しく綺麗で
大きな葉っぱの上に、可愛い雨蛙を見付けた。
はしゃぐ私に、貴方はそう聞く故(から)
私は少し眉根を寄せて答える。
「PH値。其の位知ってるよ」
「外れ」
「え?」
まさかと驚いた私に、貴方は悪戯っぽく笑って
長い指で空を指す
「紫陽花は初めて自分が花開いた時に見た空の色を其の身に映すんだそうだ。
晴れの日なら青、夕暮なら赤」
「曇りの日は白?」
「そう」
「…へぇ…」
自分が初めて見た空に恋をする
己が立枯れるまで其の色を映した侭
一途な花
「土壌の数字が云々よりも、夢があって良い」
貴方はそう言って少し笑う
紫陽花に触れた長い指
「……」
身を染めた縹
其れは夜明けの空の色
…同じ色でも、恋をした日とは違う様相の空に
此の花は何を思うのだろう
其れでも待つのだろうか
恋うのだろうか
其れとも
其れすら承知の上で
繁る葉脈を伝う
纏う雨の雫はきっと
泪
「…あ」
蛙が
突然、葉の上から
叢(くさむら)の中に消えて行った。
「…そろそろ、行こう」
貴方はそう言って、紫陽花から離れる
「……」
少し遅れて、私は貴方の後を追った
小走りに追いついて
出来るだけさりげない、仕草で。
「……如何、した」
「別に」
「…。雪でも降るのか」
「…何よぅ」
「否…其の…。
…否、いい。」
随分な言い草だったが、珍しく私から絡めた指を降り払おうとはしなかった
空いた方の手で、口許を押さえながら
貴方は繋いだ指に力を込めた。