蜻蛉恋歌
彩色千輪菊
「…運転、出来るの?」
「誰に言ってる。地元に居た頃はシュリアと名付けた愛車でだな…」
「…十年近く前の話よね?」
昼間から続いて居た蝉時雨が何時の間にか身を潜める頃
開け放した窓から吹き込む微風に微睡んで居たら
唐突に流れた"G線上のアリア"に少し驚いて
未だ機械音を奏でるテーブルの上の携帯を手に取った。
『降りて来い。待ってる』
貴方はそう言って早々と電話を切る故(から)
窓を閉めかけた手を思い直して止め、ベランダから下を見れば
赤いワゴンに凭れた貴方が気付いて手を振った。
「何処に行くの?」
「ん…。暫くかかる。窓」
「あ、うん」
乗り込んだ車の中は未だ少し冷気を帯びて、煙草の匂いがした。
冷房が苦手な私が開けた窓から、走り出す車に吹き込んだ宵口の風。
こうして、二人で。車で何処かへ出掛けるなど初めてだった。
「車の話はしない様にしてたんだ。最初は未練だったが…上京してしまえば無くても困らないし」
「未練?」
「…愛車に。元々中古でガタが来てた故こっちに来る時に棄てて来た。
直す事は出来たが…連れても来れなかったしな」
「……」
"恋人みたい"
穏やかな中に少し悲しげな声音。
…一瞬、そんな事を考えてしまった。
もう一度行き先を聞こうか、と思ってやめた。
束ねた貴方の長い黒髪と煙草が夜風に揺れる
窓辺に掛けた腕が
煙草を持つ指先が
手元も見ずに、ギアを変える左手が
…なんだか
何時もより----
「この辺りにするか」
「…?何?」
国道沿いの山の中腹で、少し開けた場所に貴方が車を停めた
促される侭外へ出たものの、こう暗い山中というのは…些か不気味で。
少々不安げに見上げた私の視線には気付かない。
「…そろそろ…、」
貴方が時計を見ながらそう呟いたのと同時に
ド ン
「…!」
夜空に咲いた大輪の菊
宵闇に流れる金色の柳
散嵌めた色取々の光の雫。
「…綺麗…」
山腹から臨む花火には、呆と溜め息を吐くばかり。
「…人混みは苦手だろう」
微笑んで、そう言う故。
髪を撫でる貴方の胸に身を寄せた。