蜻蛉恋歌

金銀砂子

 

 最近私の周りは何かと忙しい。
 今日は、午後に短いコメントを一つ撮って仕事を終えた。
 帰り道、久しぶりに明るい内に近所を散策していてふと気付く。

 私は一度踵を返し、元来た道を少し戻った。
 馴染みの花屋さんで、笹の枝を一振り買った。


 今日は七夕。


 帰り道空を見上げると、薄鈍色の雲がどんよりと蠢いている。
 今にも降り出しそう
 といった様相ではないが、夜には晴れるだろうか。

 七夕の日は統計的に高確率で雨が降る。

 そんな話を貴方がしたのは、何時だっけ。
 不穏な話を思い出してしまった自分に少し嫌気が差し、溜息が出た。


 並木道の葉桜は既に夏の様相を称えて
 湿り気を帯びた風が肌を撫ぜる。

 日が出ていない分、昨日より暑さを感じないのに
 じわりと滲む汗
 半袖のブラウスが張り付く感触は好きではなかったが

 涼しげに其の細い葉を揺らす緑は
 私の眼を楽しませてくれる。



 私が忙しいという事は、必然彼も忙しいという事で
 浮き足立つ私が部屋の鍵を開けても、彼の姿はない。
 確か夕刻には帰ると言って居た気がした。

 テーブルに戦利品を置いて、自室の押入れから
 一輪挿しと和紙の端切れ、折り紙を手にして戻る。

 よく

 『物持ちが良いのと不必要な物を溜め込む事は似て非なる事だ』

 と私を嗜める彼の鼻を明かしてやろう。
 そんな悪戯心も手伝い、私の指先は軽やかに鋏を手に取った。





「只今。」

「お帰りなさい。」


 素麺を茹でていた私の後ろで、彼の声がする。
 二人とも少し固めの方が好きなので、袋の裏に指定された時間より少し早く笊に空けた。


「……嗚呼。七夕…。今日か。」

「そう。ね、雨、降ってた?」


 テーブルの上に鎮座する笹の枝に気付いた様だ。
 私はと言えば、渾身の力作を一刻も早く自慢したくて仕方がないのだが

 其れを貴方に悟られないよう、何気ない事を尋ねる。

 濛々と流しに煙る小麦粉の香りの湯気が鬱陶しい。
 蛇口を捻って、茹で上がった素麺を流水に晒した。
 

「否。でも曇ってるぞ。
 へえ…良く出来て…、………。」


 冷える迄はそのまま放置。

 漸く手が空いたので、口元に手を遣って居る貴方の元に駆け寄った。


「綺麗でしょ?
 あ。短冊、あるよ。」

「……。」


 貴方は空いた方の手で、一枚の短冊を摘んでいた故(から)
 そう声を掛けたのだが。

 くしゃり。

 何も言わず、貴方が手にしていた短冊を握り潰した。


「何するの!?」


 私が書いた短冊。

 素っ頓狂な声を上げる。 


「書き直し。」


 抑揚の無い声でそう言いながら

 御丁寧に、爪先で結わえていた紐を切る。
 笹から切り離された萌黄色の短冊を、貴方はもう一度手の中で丸めた。


「なんで……」


 それ以上、言葉が紡げない。

 …私とて、本気で
 神に祈れば願いが適うと信じられるほど子供では無い。

 其れでも
 胸の内に在る願い

 其れは大切な
 私の唯一の願いで

 其れを貴方が否定するという事は

 私の願いは叶わないという事で


 ………喉が、灼ける。


 俯いた私の頭に
 こつん、と

 貴方の拳が触れた。


「……此れは俺が叶える。他の事を願え。」

「………。…は…ぃ。」


 …………。

 照れ臭いやら居た堪れないやら
 自分でもよく解らない感情が綯い交ぜで

 漸く発した返事も先細って仕舞い余計に顔が熱い。

 目は合わせられず、口元に手を遣る貴方を目の端に捕らえるに留め
 そそくさと自室に造り置きの短冊を取りに戻った。



 ……そうだ、願い事。


   "少しでも今が長く続きますように。"


 和紙の端切れを揃えて切った短冊を手に取りながら思う。



 私は他に、何を願おう。

 貴方は何を、願うのだろう。

 

表紙/目次

あ、素麺ですか?今頃クタクタです。

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